炊き込みご飯

実家を離れて7年になる。

高校卒業と同時に実家を離れ、

就職のタイミングでさらに遠い位置に転居し

転職をしたことで、実家は片道12時間、飛行機でないもまともに帰れない場所になってしまった。

 

帰るのはお盆とお正月の年に2回の数日。

 

地元の人は地元に残り、地元で結婚をする。

 

そういう少し昔ながらの考えが色濃く残る地域でも、私の両親は

「好きなことを勝手にやればいい」と

私の選択肢を決して狭めようとはしなかった。

 

だからこそ、私も人生の決断において

親の判断を仰ごうとすることはなかったし

そういう時の報告は、大抵事後になっている。

 

だけど、私は、就職先や転職先で

地元とずっと離れた地を選ぶことを言うたびに

「選んだ道だから頑張んなさい」と

背中を押す言葉の裏に、「寂しい」という感情を隠しているお母さんを知っている。

 

わかってる。

片道7時間が、片道12時間になったところで

何かあった時に駆けつけられる頻度は

大して変わるわけじゃないし、

大人になって仕事をして、結婚をすれば

それがいずれ会えない理由になる。

 

でも寂しいんだろうな。

理屈じゃなく、寂しい。

 

それを分かっていても、私はあえて

お母さんのその感情を汲み取り

人生選択の要素にすることはないし、

気付かないフリをする。

 

お母さんもそれを望んでいるから。

 

そんなこんなでもう、一人暮らしの方が

すっかり板についてきてしまっていて

いよいよ実家に戻るという選択肢が

なくなってしまっているのが現状である。

 

そういう状況もあって、お母さんは

私がたまに実家に帰ると、

必ずごちそうを毎晩用意してくれる。

 

忙しい日でも、必ずだ。

エビフライに、蟹鍋、ステーキ。

これでもかというくらい、好きな物を

食卓に並べて、気の済むまで食べさせてくれる。

 

これが私はすごく苦手だ。

 

私はいままで、この母の立ち振る舞いに

苦手さを感じていた理由は

「今まで日替わりで、

味つけの違う野菜炒めを作るような母だったのに、いきなりこんな慣れない食卓にしたもんだから、居心地が悪いんだ」とばかり思っていた。

 

ただ、どうやらそれは違っていて

その違和感は、例えばドアを閉め忘れても怒られなかった時や、

私が当番だったお風呂掃除をお母さんが

全てやってくれていて、私用のパジャマを用意してくれていた時にも抱いたものだった。

 

ああ、そうか。

 

私、「この家にとってのゲスト」になっちゃったんだ。

 

お母さんもお父さんも、私が

この家でくつろげるように、配慮をしてくれていて、もてなしてくれているんだ。

 

 

それは思った以上の寂しさだった。

 

きっと、お母さんはそうしようと

思ってやっているわけじゃない。

せっかく帰ってきたのだから、なるべく私が自然体でいられるように環境整備をしてくれているだけだ。

 

ただ、それが無性に寂しい。

 

なんで、前みたいに適当な日替わり野菜炒めでごはんを済ませないの?

ドアを開けっぱなしにする癖を、「いい加減自分で閉めなさい」って怒らないの?

「お風呂入りたかったら自分で掃除しなさい」って、20時になると言い出すことをしないの?

 

私にとっては、そういう適当さや

鬱陶しさも含めての「実家」だった。

 

だけど、きっとそこにはもう戻れない。

 

だって私は今、離れて暮らす子どもで

お母さんたちはどこかで私に、

「やっぱり実家がいいな」って思って欲しいからだ。

 

そういう状況がある以上、私はゲストだし

もてなされる対象になってしまっているのだ。

 

 

だから私は、最終日に必ず

「炊き込みご飯」をリクエストする。

 

炊き込みご飯は、お母さんが土日に仕事の余裕がある時によく作ってくれていた

プチ贅沢メニューだった。

 

今のお母さんはそんな私の心の内を知らず

「そんなのでいいの?」と言う。

 

そんなので、いい。

そんなのが、いい。

 

物理的な距離によって少しずつ

離れてしまった私と家族の関係を、取り戻すように

また私はこの帰省で、炊き込みご飯をリクエストする。

 

#帰省#家族

 

恵比寿のルッコラ

東京という街に憧れるようになったのは

おそらく大学1年生の時。

当時私は、地方の大学に通っていた。

 

当時は、韓国アイドル全盛期で私もまんまと

その商流に乗ってお金をつぎこんでいた。

そして韓国の大人気アイドルのライブは、

決まって東京か大阪で開催される。

必然的に私は月1ペースで東京行きの夜行バスに乗るようになっていた。

 

この決してコスパがいいとは言えない

遠征の中で、私は完全に「東京」という街のトリコになっていた。

 

東京ドームに行けば、大好きな韓国アイドルに会えて、

新宿に行けばZOZOTOWNでしか買えないブランドの服を手に取って買い物ができる。

カレーが食べたければ神保町に行けばいいし、

パンケーキが食べたければ原宿に行けばいい。

 

東京の大学に進学した友達と渋谷で朝まで遊ぶ楽しさも、

新橋でナンパするサラリーマンを横目で吟味する楽しさも知った。

 

大学卒業後は、売り手市場の時代の旨味を享受して、

大手企業に就職。

全国転勤の会社ではあるが、ほとんどの新卒が関東に配属されるということ、特に女性社員は

そのあたりを考慮されやすいという

根も葉もない社内都市伝説を間に受けた結果、

しっかり地方配属になった。

 

数年間、地方で死にものぐるいで

働いたが、どこかで「何かが違う」、

「私が働きたいのは、20代を過ごしたいのは

ここじゃない」という思いを捨て切れず、

ロジカルシンキングの塊みたいだった上司に

「2020年のオリンピックは、やっぱり東京で観たいんです」という、

ロジックの破綻した台詞と退職届を投げつけるようにして、この春に東京に越してきた。

 

憧れの港区勤務、休日は中目黒のカフェ巡り。

金曜日の夜は麻布十番か新橋に飲みに出かけて

たまに浅草や赤羽の赤提灯街にも足を延ばす。

 

住んでいるのは埼玉にほど近い、

いわゆる「ぎりぎり23区内」エリアだったが

住居がどこであろうと関係なかった。

私の憧れは、「暮らしの中」にではなく

「街の中」にあるのだから。

 

ただ、東京という街に溶け込むために、

馴染むために必死になればなるほど

自分がそこから浮いているように感じた。

 

ショーウィンドウに映る自分が

なぜか他の歩く女性に比べて劣っている気がする。

友達の友達の友達と交遊関係が広がるのに比例して、何かが磨り減っている気がする。

 

こんなに憧れていた東京なのに。

住みさえすれば「東京の人」になれると思ったのに。

なぜか上手く馴染めていない気がする。

なんだか上手く暮らせていない気がする。

 

しんどいなあ。

 

そう自覚して嫌になっている、ちょうどそのタイミングで、彼と恵比寿でランチをした帰りに

「ここ寄ってみようよ」とガーデンプレイスでやっているマルシェに誘われた。

 

YEBIS Marche。

毎週日曜日に開催されていて、

青果はもちろん、パンやドライフルーツ、

雑貨や化粧品まで所狭しと並んでいる。

 

こんなところもあるんだなあと

みていると、あるものが目に止まった。

 

ルッコラ

 

イタリアンのお店でランチをすると、サラダには

だいたいこのルッコラがはいっている。

 

眺めていると、ニコニコしたおじさんが

「お、目の付け所がいいねえ。

   このルッコラ、採れたてなんだけど、

   すごく味が濃くて深いんだよ。

   好き嫌いは分かれるけど、ぜひ食べてみてよ」

とその場で1枚葉をちぎってくれた。

 

生でちゃんと食べるのはじめてかも。

 そう思いながら、口の中で噛み締めた瞬間

ゴマの香りが口内でふわっと広がった。

 

「うわあ。なにこれ。美味しい。」

 

思わず声にだすと、おじさんが

嬉しそうに言葉を続けた。

 

ルッコラって、ハーブの一種なんだけど、

栽培の方法や土壌で味が全然違うんだよ。

ピリッと辛いものもあるし、これだけゴマの香りが強いものもある。

中には辛い大根おろしくらいツンとするものもあるんだよね。面白いでしょ?」

 

ルッコラをちゃんとルッコラとして味わって食べたの

はじめてかも。

こんなに美味しかったんだ、ルッコラ

 

思わぬ秘密を知ったような気がして、

すごく嬉しくなった。

そして今までそんな美味しさに目もくれずに

いたことに、ハッと気付かされた。

 

もったいないことしちゃってたなあ。

 

苦笑いをしながら、ルッコラへの

敬意と謝罪の念を込めて

「これ、1束ください」と購入をする。

 

結局、サラダに合うサニーレタスと

フルーツトマトも追加購入し、

たくさんのみずみずしさを抱えて、

駅までのスカイウォークを彼と並んで歩きながら帰る。

 

「休日に、またこのマルシェにふらっと

   来れる場所に住んでみたいなあ。

   それで、美味しいサラダを休日に作りたい。」

 

なんとなく出た言葉に、彼が少し笑ってから

こう返す。

 

「それなら、東急東横線の祐天寺とかどうだろう。

  10分くらいでここに来れちゃうから、 

   休日のお出かけにちょうどいいかもなあ。

    一緒にだったら、そのあたりでも住めちゃいそうだし。」

 

彼の思わぬ本音に、ついルッコラ

食べた時とおんなじような顔でみてしまう。

 

祐天寺。

 

「憧れ」の東京生活の中にはなかった地名だ。

 

ただ、彼と恵比寿のマルシェで買った

ルッコラをどう食べようかと話しながら

祐天寺まで帰る未来は、

確かに私にとっての幸せな「暮らし」だ。

 

東京で暮らすということ。

その正解の在り方なんてないんだなと思う。

 

「なんでもある」東京で暮らすからこそ

好きな在り方でいていいはずだ。

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by リクルート住まいカンパニー